NEW「小学校は誰のものか?-地域社会における記憶装置としての場をめぐる民俗学的考察-」公刊しました

今回『千葉大学国際教養学研究』第5号で「小学校は誰のものか?-地域社会における記憶装置としての場をめぐる民俗学的考察-」を記しました。

少し前置きが長くなりますが、拙稿を書いた経緯について記します。

国際教養学部で、千葉県鴨川市をフィールドに「時間をかけて」関わりを持ち地域の課題を発見しそして活動する授業「持続的地域貢献活動実習」として2018年度から開講しました。

それまでは教養科目の授業で「グローバル化とコミュニティ実践」「地域を知り、地域と関わる」と授業科目名が変わりながらも鴨川市大山地区とのつながりのなかで学生が地域の課題を発見しそれを学ぶ授業を継続してきました。

実は授業との関わりとは別に私は、2007年度、大山地区で、大山千枚田保存会との関わりで1年間フィールドワークをしました。

そのとき私が関わった事業のテーマは、「新たな公共」でした。国土交通省の補助金で行うもので、事業主体は大山千枚田保存会でした。

新たな公共は、行政側の官と、住民側の民の連係を前提とした相互関係を指します。地域をよくするために、地域が元気になるために、どのような協働関係が構築できるかを考える機会でした。そのときに、私は古くからのむらづきあい、共同作業(水回りや雑木林の草刈りであるコサギリなど)のあり方について、聞き取りをする機会を得ました。

それから10年以上の月日が流れました。2007年度の聞き取り取材の時には、単純にむら柄は隣同士でも全く違うのだなという、いわゆる民俗学的関心の域を出なかったのですが、さまざまな課題を考える機会を、この授業で私は学ぶことができました。

その課題のひとつが「廃校小学校」の持つ意味についてです。

私が2007年度に聞き取り取材で回っていく時に、「小学校がいくつか統廃合されるようだ」「小学校が中学校に併設するらしい」などといったことは耳に入ってきましたが、当時の自分にはあまりリアリティがなかったのです。

「どこも子どもが少なくなってきているからかな」と思う以上のことを考えることはありませんでした。

教養科目の授業でそして学部の授業で、再び鴨川市大山地区に関わっていくうちに、「小学校がなくなることは、住んでいる人にとって、とても大きな問題である」ということがようやく気がつきました。

(遅いですね・・・)

長く関わりながら、小学校は廃校になったあとも一体誰のものなのか?という問いを考えてみたのが、今回刊行した拙稿です。

長く関わるフィールドで、私が気がついた新旧住民の一体感も合わせて記しておきたいと思いました。

廃校になった小学校に通った古くからの住民も、新たに移住してきた住民も、そしてこれから仲間に移住を勧める住民も、「小学校がないということは大変なダメージであること」、それを書き留めておきたかったのです。

それは小学校、特に古くから立地している小学校は、まさに村の中心地(市街地)に立地していることが多く、そして多くの人が集まる村落空間にあったということです。

ご笑覧いただき、ご意見をいただければ幸甚です。

「小学校は誰のものか? : 地域社会における記憶装置としての場をめぐる民俗学的考察」(『千葉大学国際教養学研究』第5号 2021年 107-122頁)