1.はじめに-1930年代の官製運動と農山漁村の生活改善指導
農山漁村で旧来より行われている生活習俗について聞き取りをしていると、お話くださる方も聞き手である私も「昔からこうだった」という感覚に駆られることがあります。もちろん話される方にとって明確な変化、変容となる時期を思い出してくれたときは「昔はこうだったが、今は違う」といった話の展開になります。このときその変化の時期も「いつ頃からの変化かな」という慎重さを聞き手である側は考える必要はあります。とはいえよく出てくるのが、話される方にとって「結婚したとき」「長男が生まれたとき」など個人の歴史を思い出しながら変容を語ってくださることもさることながら、「高度経済成長」「昭和30年代」「戦前、戦後」という社会的な歴史のなかで変容を語ってくださることも多々あります。そして聞き手側である私も気をつけてはいても、ついこのことを当たり前の変容の結節点と見てしまいます。
ところが、「どうもそれだけではないなあ」とここ数年何度か思ってしまうことがあります。1900年代の地方改良運動や1920年代の民力涵養運動そして同じ時期に行われた通俗教育としての生活改善運動といった官製運動による旧来からの生活習俗に対する、なかば官なかば民の指導が入っていった時代の結節点を、私はとても気になってきています。もちろん今の時代においては聞き取りで1920年代の記憶を明確に覚えている方に出会うことはありません。あえていえば古い記憶をたどってくださる方でも、その記憶は1930~40年代に入る前頃くらいでしょうか。そういった意味で1930年代からはじまる農山漁村の建て直し施策である農山漁村経済更生運動では、農業経済、経営もさることながら、生活習俗の大きな変化が見られた時期でもあり、更生計画には、全村あげて結束を強めながらの生活改善指導が見られます。先述したなかば「官」なかば「民」による何となく画一的に向かう(もちろんすべてではないですが)生活習俗の括りが見えるように思うのです。
時期ちょうど日本の関東軍が、満州国建設といった大陸への介入をはじめたときでもあり、アジア諸国との間に亀裂が出てくる、日本が戦時体制下にまさに入ろうとする時期です。海外への対抗意識を国の内側で結束させて、それを強めることで国力を上げようとする空気を感じます。どうもこのあたりでムラの一体化がすすめられ、あるべき生活習俗も再創造されていった印象を持ちます。よい生活習俗は美風として奨励し、悪い生活習俗は陋習、弊風といったラベルがつけられていきます。どうやらこの時に何かしら形作られた生活習俗たる民俗を、今の私たちはフィールドワークして聞き書きしているのかな、と少し乱暴ですが、思ったりします。
そのこともあって、全国の農山漁村経済更生計画書が残っているものはできる限り目を通すようにしています。その中で茨城県の昭和7~12年度の新規更生指定町村の更生計画書が残っており、少しずつ(遅々としてなので恥ずかしいのですが)その記載を渉猟しています。
2.昭和7~12年度茨城県経済部とりまとめの新規更生指定村更生計画書抄録
昭和7~12年度茨城県経済部とりまとめの更生計画書は、茨城県立歴史館に写しが所蔵されています。もとより各町村の更生計画書は、県単位ではなく各町村単位で作成されます。そして具体的な計画とともに基本調査(土地利用、農産物の売り上げ、納税状況、負債状況そして家計の支出収入など)の結果も含まれているのが大半で、分厚いものになってしまいます。またその原本はガリ版で印刷されたものが多く、すべての町村で残っているわけではありません。茨城県経済部はこの6年分の新規更生指定町村の計画書抄録を取りまとめています。県立歴史館は、東京大学社会科学研究所図書館にあった原本より、その写しを取り所蔵しています。
3.これまでのまとめ
県立歴史館の資料を拝見し、少しずつですが、この時代の農山漁村の日常生活に対しての生活改善指導のあり方が見えてきました。例えば、おもに特徴としていえるのは、
- 冠婚葬祭での冗費節減を目指した改善
例えば、破魔弓を贈るのは長子のみ。出生祝いは現金で。婚礼の祝い着は質素に。3日以上の披露宴をするな。葬式ではお酒はできるだけ出さない、近隣のものは無用な手伝いに出て酒食を葬家でいただかない。葬具はむらで共同で管理して利用する、祭りは同じ氏神ならば村を越えて共同で祭りを運営するなど。 - 出征、退役での関わり方
無駄に餞別を渡さない、幟は親戚の家から贈るのみ、派手に送り出しはせず、村の神社にて送り出しを行う。退役時に土産物を求めないなど。
などがあげられますが、その町村独自の生活習俗である民俗に言及しての禁止事項もあります。 (例えば、葬式の際、家で煮炊きをすると穢れるので葬家にいって飯をもらう「鍋かけず」はしない、葬式の知らせを葬家の親族に伝えるときには、できる限り電話を使い訪問による知らせはしない。仮に訪問するにしても親族先でねぎらいの酒食をもらうことは慎むなど。)
これらの資料に関連させて、生活改善指導にどのような目的があったのかを以下の拙稿をまとめてみました。
- 「農山漁村経済更生運動初年度における生活改善事項と民俗的慣行との関わり -昭和七年度茨城県指定村の事例より-」(茨城県立歴史館編・発行 『茨城県史研究』第92号 pp75-90)2008年2月
→もしご興味のある方はお知らせください。抜き刷りをお送りします。 - 「明文化・系統化される民俗-農山漁村経済更生運動初期における生活習俗の創造-」(小池淳一編『歴博フォーラム 民俗学的想像力』pp211-237 せりか書房 )2009年3月 (こちらは単行本に収録しました。)
- 「石黒忠篤と民俗学周辺」(国立歴史民俗博物館編・発行『国立歴史民俗博物館研究報告』第165集 pp117-139)2011年3月 (国立歴史民俗博物館学術情報リポジトリ)
- 「農山漁村経済更生計画書に見られる生活改善指導と民俗的慣行-昭和八年茨城県更生指定町村38の事例から-」(千葉大学文学部編・発行『人文研究』第40号 pp133-155 2011年3月 )(千葉大学学術成果リポジトリ)
- 「農山漁村経済更生計画第1期後期に見られる生活習俗・社会教化の諸相-昭和9年度更生計画書を中心に-」(千葉大学文学部編・発行『人文研究』第41号 pp83-104 2012年3月)(千葉大学学術成果リポジトリ)
- 「生活改善規約を持った更生指定村-より強化された生活習俗の系統化-」(千葉大学文学部編・発行『人文研究』第43号)2014年3月 pp91-119 (千葉大学学術成果リポジトリ)
- 「弊風とされた民俗 -更生計画書、生活改善規約に記載され改善を求められた社交儀礼-」(千葉大学文学部編・発行『人文研究』第44号)2015年3月 pp221-256 (千葉大学学術成果リポジトリ)
- 「官製運動における通俗教育と陋習の同時代的交差-生活改善運動と農山漁村経済更生運動の接続に関わる一考察-」(千葉大学文学部編・発行『人文研究』第45号)2016年3月)(千葉大学学術成果リポジトリ)
上記研究に関わるものは、おもに日本学術振興会科学研究費補助金 基盤研究C(課題番号22520815)2010~2012年度「農山漁村経済更生計画書に見る生活習俗の指針とその実態に関する民俗学的研究」(研究代表者 和田健)、科学研究費助成金 基盤研究C(課題番号25370934)2013年~2015年度「戦時体制下の公的施策と民俗-経済更生・生活改善各運動の同時代的交差からの検討-」(研究代表者 和田健)、科学研究費助成金 基盤研究C(課題番号 16K03215)2016~2018年度「戦時体制下の官製運動における生活改善指導と通俗教育の交差に関する民俗学的研究」(研究代表者 和田健)による成果の一部です。